2008年10月22日

たとえれば灯籠流し。手から離れた小さな舟が暗い水面を流れて揺れながら沈んでいくのに背を向ける、神の無い月の物語。

 
 (先に注記。間違えてココに辿りついてしまった真っ当な浦和レッズサポーターの方々、このエントリはお読みにならずにお帰りくださいませ。以下は試合の感想でも決意でも何でもなく、単なる後ろ向きな逃避です。お願い致します)


 こんばんは、皆様はお元気でしょうか、ACL準決勝敗退チームを応援していたらっきーです。 えと、告白すれば正確には応援していなかったのだけれど(試合はTVで生中継されていたけれど、後半途中に帰宅して唯一見たシーンが1−2、2失点目のすぐ後と思われる部分でそのまま自室に入ってしまったからどういう展開で何が起こったのかは全然判らないまま更新中)。

 なので今回に関しては卑怯者と呼んで頂いて結構。 ある種の人間には耐えられない事もあるということだ、愛するチームが壊れていく過程を直視できる強さが私にはない、と、それだけのお話。 もしもサポーターと呼ばれるには強く信じて応援を止めない熱さと冷静に現実を直視する落ち着きがなければならないというなら、私は既に浦和サポではない、そういうこと。

 良い成績を収めていたから好きだったわけじゃない。 強い浦和レッズなんて本当に、3年間ちょっとしか知らない。 あの1999年、自宅のTV前でダンナと元カレと呆然として観ていた悲しい降格シーンの遥か前から好きだった、その皆の「好き」だけが辛うじて形にしていたチームを応援し始めてから10数年が過ぎたけれどこんなに呆然とした気持ちになるのは初めてだ。

 ジェットコースターのように、最初の低地が続いて丘を登ったり下ったりして突然上昇する感じがあって、おやっと思った時には今まで見上げていた景色が眼下に広がっていた。 熱心なサポーターが大勢いる、お荷物から這い上がって日本を代表する強いチームになったとして称えられることに酔っていなかったと本当に言えるのか。 マスコミへの露出の多さ、些細なことすらニュースになるその一極時代を鬱陶しいと言いながらどこか当たり前に思っていなかったか。 単なる応援者の自分までが凄いことをやってのけた集団に属しているかのように勘違いしていなかったか。

 多分、後で試合の模様を私は観るだろう。 ずっと目を離すことなく居間のTV前で応援を続けていた、尊敬に値する存在と一緒に総括番組や幾多のメディアで逐一、実際に目にすることのなかった人々とボールと気迫と運命が右往左往する90分余を観るだろう。 あるいは数年後、この試合について知ったようなことを言いさえするかもしれない、逃げ回っていた自分の弱さには知らん顔をして。

 真のサポーター、強い意思と熱い気持ちと冷静な理知を持つ応援者たち。 世界から驚嘆されるあなた方がどうかこれからも浦和レッズを愛して支えてくださいますように、と心の底から祈りたい。 辛い時代が来るだろう、その転落は高く高く上った者にしか解らないだろう、ただ信じて、また栄光の時代が来ることを信じて誇りを失わずに応援を続けてくださいますように。 と卑怯者から言えた筋合いではないのを承知で私は願うのだ。

 たとえればそれは家族の一員同様だったペットの死。 縁あって共に過ごし楽しみも苦しみも味わって今別れが来るのだ、また新しく飼えばいいじゃないか、次の子もきっと同じように、あるいはそれ以上に我々と一緒に居てくれるよ、と言うのは容易い。 解ったような気持ちになるのは容易い。 そうだねお父さん、と涙を拭いて埋葬を終え、ほどなく連れてこられた新しい命に夢中になろうとするのは確かに立派な勇気だろう。 ただ自分がそういう性質でなかったと、思い知るのはこういう時なのだ。 新しいペットが欲しくないわけじゃないんだよおとうさん、ただもう二度と何も飼いたくないと思っているこの気持ちからいまは逃れられないんだ、と言えずにいる、幼い子供のように。


 ここからは私ひとりだけの儀式。 いま心の岸辺から、暗い水面へ小さな灯りを乗せた舟を流そう。 どのぐらいの時間ここから揺らめく影が見え、どこで見えなくなるのか私は知らない。 旅立つヒトの姿が見えなくなるまで見送るのは不吉だと教わって以来、最後に角の向こうへ消えていくそのはるか前に目を離すのが習慣になっているこの私には判らない。
 いつも心の中近いところにあった、大好きだったサッカーチームの今季を私ひとりが弱い心で今日送る。 目を涙で濡らすことも花を手向けることもせず、心の中だけで今年最後の希望と独りよがりな偏愛とともに今夜送る。

 また来季、優しい気持ちで生まれ変わりの新しい子を飼う気になれればいい、と今は思うのだ。 大事な場面で逃げ出した卑怯者の、他の誰とも関係のない心の中でだけの決別はただここだけに留めておこう、蹴球そのものに別れはない、のだから。 いつも傍にいた10何年かへの気持ちにごく個人的なけじめをつけて、明日から私は自由になる。 束の間の、自由になる。



 "P.S. please if you get a chanse put some flowrs on Algernons grave in the bak yard."
 
posted by らっきー at 22:31| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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